大晦日

終バスに間に合って無事帰省できました。紅白が始まるまでにとお風呂も済ませた!例年通り親に隠れながら出演の時を待ち望むことにします。その前にご挨拶。

2013年は大変お世話になりました。つらつら書いてるだけなのにブログを読んで下さった方、スターやコメントもありがとうございます。今年も何人かの方にお会いする機会に恵まれました。お会いできた方、できなかった方もありがとうございます。もし機会があればお会いしてご挨拶できたらなとも思っています。

2014年が皆さまにとって、関ジャニ∞にとって素敵な一年でありますように。よい新年をお迎えください。来年もよろしくお願いします。


2013年12月31日 tamago







続きは書くか迷って書けなかったこと。今年の元日の話に触れています。



今年も無事に終わります。2013年1月1日、ここ数年と少し違う雰囲気で新しい年を迎えたように感じました。今さらだけど重たいけども今年中に書いておきたかったこと。

私は1日のあいさつを知った時「ああ、この人たちはまだ見ていたんだ」と思いました。ほんとかどうかわからないよ。でも私がとっくにおいてきたものを、もしかしたらまだ見ていたのかもしれない、って。年の初めに書いたように、あの日々はなくなったりはしないと思っている。大倉さんが8→1を書き続けた日々。手をつないだステージ。笑う兄ちゃんら。更新されないピンクを毎週毎週押してた私。一挙一動、ロゴのひとつにさえ、夢を見て反応していたファンの一人だった。あり得ないと分かっていながらも。信じさせてくれたのは紛れもなく彼ら自身だった。うまくかけない。うまくかけないけど大事だった。7人全員が同じことを思ってるわけではないだろうし、彼があの場所で宣言したことが捨てていくことじゃないと思う。7人を少ないと、今も時々思う私が彼らの足かせになるとも思わない。

松竹座の舞台が終わった年、もしエイトの歴史を振り返るようなことになったら、松竹座に、揃って、トーク番組してして欲しいと書いたことがあります。そんな番組をしてもらえるようなグループになって欲しいと願います。20周年くらい??おおきくなることは悪いことじゃない。素直にそれを喜べるファンでいたい。でもずっと、何年経っても好きでいさせてくれるあなたたちであってください。

私が一番やりたかったわけじゃない仕事を好きになろうとしてるのも、好きなことを有給じゃなくても、って資格取ろうとしてるのも、挑戦することに戸惑わないのもぜんぶ村上さんの影響を少なからず受けてのことなので、私はもっともっと村上さんに頑張ってほしい。

今さら、下書きにしまってたこの記事を引っ張ってきたのは、やっぱりこのひとたちをずっと見てたいと思ったエピソードのひとつになったからだと思ったから。相変わらず上手く書けないけれど、関ジャニ∞が、それぞれのメンバーが、どう仕事をしていくのか。何をやっていくのか。どうなるのか。どうなっていくのか。最後まで見ていきたいなと思います。そんな気持ちで10周年を迎えようかと思っています。